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2010年4月

2010年4月28日 (水)

4月25日礼拝メッセージ「神の視点:高価で尊く、愛されている」

ハレルヤ!

皆さんのお祈りによりまして「第2回子育てセミナー」が祝福されました。有難うございました。

有井克子先生は高槻市立小学校での元ベテラン教師として、また京大卒の二人の男の子を育てた母親として、牧師の妻としての豊富な体験から語ってくださいました。一つの質問に10位の答えをお持ちのお方です。

先ず親であるお母さんが創造主の神様を信じ、神様と向かい合い、平安と喜びに満ちた明るく輝いた生活を送ることを何度も説かれました。

生活の優先順位として、神様を第一、自分を第二、配偶者を第三、第四が子どもや親であることを今回も強調されました。

さて、礼拝では「神の視点:高価で尊く、愛されている」と題してイザヤ書43:1~7とガラテヤ2:20から御言葉を学びました。

私が23才の時に体験し、その後も引き続き体験を深めている神の恵みに対して語りました。

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2010年4月21日 (水)

4月18日礼拝メッセージ「良い地に落ちた種」

ハレルヤ!

3月から来日していたアンティが20日ハワイに帰りました。来週25日は「第2回子育てセミナー」です。主イエスが人々を集め、有井克子先生を用いてくださるようにお祈りください。

さて、「良い地に落ちた種」と題して、マタイ13:1~23と最近ズーッと導かれているⅠペテロ3:9から御言葉を学びました。

主イエスは霊的に無知・愚かになっている民に生活の卑近な例をあげて例えで真理を語ります。なぜ例えで語ったのか。例えなら聞く人にイメージが沸いて印象に残るから。また神の御心、主イエスの真意を求める人には信仰に関する大切な教えが見えてくるからです。

神の御言葉の種は既に私たちの心に蒔かれています。

ですから当然、御言葉を聞く態度、自分の生活に適用し、取り入れる態度が結果の違いを決めます。

当時のイスラエルの農業の仕方は最初にコムギの種をパーッと蒔いて(あるいはロバの背に穴の開いた袋を乗せてロバを引きながら種をパラパラと落とし)、後からクワを入れて土をかぶせます。

現代のわれわれ日本人の集約農業の視点から考えると2千年前の原始的な農法では多くの種は無駄になり、効率は悪い。

ところが当時はこれが一般的で最高の農法であった。

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2010年4月20日 (火)

4月11日礼拝メッセージ「信じる者は解放されるが、いつまでも恵みに留まれ」

ハレルヤ!

聖餐式を行いました。

10周年記念の御言葉の「しおり」と個人の「証」(400字前後)の原稿を募集しています。25日(日)が一応の締め切りです。

さて、「信じる者は解放されるが、いつまでも恵みに留まれ」と題して、使徒13:13~16,38~43と主が最近導いている「あなた方は祝福を受け継ぐために召された」というⅠペテロ3:9と「迫害する者を祝福しなさい」というローマ12:14から御言葉を学びました。

パウロとバルナバはキプロス島から現在のトルコ、当時のピシデヤ州の中心都市アンテオケに行きました。安息日に会堂に入り、礼拝を捧げました。福音宣教のチャンスを祈っていただろう。

旧約聖書の朗読の後、パウロに説教の要請が来ました。エルサレムの当代きっての律法学者ラビ・ガマリエルの門下生として学び、パリサイ人となり律法学者の一人として説教の資格を持つパウロはユダヤ教の説教法である三段構成で、しかもギリシャの雄弁術に基づいて立ち上がって手を振り、皆の注意を引き付けながら説教を展開しました。

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2010年4月 5日 (月)

4月4日イースター・お花見礼拝メッセージ「そこで会えるのです」

ハレルヤ!

イースター・お花見礼拝に対する皆さまのお祈りとご協力有難うございました。

春の暖かい日差しで汗ばむほどの快晴の中、薄いピンク色に染まった満開の桜の花の下で、吹田市中の島公園で礼拝が持たれました。

讃美と御言葉と持ち寄りランチと交わりを主が祝福されました。アンティーも来日してから3回目の礼拝参加でした。来週は聖餐式を行います。10周年記念のために証をお願いします。

さて、「そこで会えるのです」と題してマタイ28:1~10と引き続きⅠペテロ3:9から御言葉を学びました。

当時の最高権力者たちへの恐怖心で逮捕され十字架にかけられて処刑された主イエスを見捨てて逃亡した弟子たちが、死から復活した主イエスにガリラヤ湖畔で再び出会えることを女の弟子たちに天使と主イエスご自身が伝えた出来事が描かれています。

イエス・キリストがBC4年頃生まれ、AD30年頃に十字架で刑死したことは歴史的な事実です。世界中の教科書に載っています。

そのイエスが全人類の罪のために代表として裁きを受けて死んだこと、つまり全ての時代の全ての人の全ての罪の罰を一身に受けて死なれたこと、また私の個人的な罪の身代わりに死んで三日目に墓から復活した出来事は聖書によって福音(Good News、良い知らせ、喜びの訪れ)と呼ばれています。

ですから、誰でも心を開いて、イエス・キリストの十字架と復活を「我がためなり」と信じる者は必ず救われます。

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