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2010年8月15日 (日)

8月15日の礼拝メッセージ「弟子の生き方:自分の十字架を負って主に従う」

ハレルヤ!暑さがキツいですがお元気ですか。暑中お見舞い申しあげます。

宮下牧師の母親の手術と癒しのお祈りに感謝します。驚くような快復ぶりでした。教会の皆さんのお祈りに「お礼を言っておいてね」と伝言を頼まれました。主が癒してくださいました。ハレルヤ!

さて、「主イエスの弟子の生き方:自分の十字架を負って、主イエスに従う」と題して、ルカ9:23~26と14:25~27を中心に、マタイ10:38,16:24,マルコ8:34,ヨハネ19:17,ガラテヤ1:4,5:24,Ⅰペテロ2:24,ピリピ2:8から御言葉を学びました。

主イエスがペテロをどう取り扱われたのか。弟子としての優先順位について学びました。

主イエスは病気を癒し、悪霊を追い出し、福音のメッセージを大胆に各地で語り巡りました。当初は、ご自分がキリスト(メシア)であることを口外しないように命じました。主イエスはキリストとして、十字架で全人類の罪を背負って血を流し、死ぬために天から来られました。十字架の贖いで全人類を救おうとの神の一大計画を誰にも邪魔されたくなかったのです。主イエスは一歩ずつご計画を実現して行きました。

特に、ペテロが信仰を告白した後、ご自分の十字架の受難を始めて語り始めました。勿論ペテロは理解出ずに、主イエスから叱られて大目玉を食らいました。

主イエスは信仰のない群衆に病の癒しと悪霊の追い出しを見せ、福音を聞かせました。しかし、一般の人々や信仰を告白していない人々には裏切られ、十字架で殺される受難の話しは早過ぎます。だから決して話しませんでした。

私たちが伝道するとき、この順序は絶対に守るべきです。

私たちは教会の中で起こった嫌なこと、嫌いな相手の存在、納得いかないことなどを未信者の親しい友人にペラペラとしゃべってしまいます。

するとそれらの人々の耳の中に人を救い変える福音の力強いメッセージや主イエスの素晴らしさが残らずに、否定的な言葉や印象だけが残ってしまいます。

主イエスの愛と圧倒的な恵みと祝福と比べたたらそれらは些細なこと、取るに足りない私的感想です。

私たちはまだ信仰を持っていない人々に、神がなされた祝福を最初にたくさんしゃべりましょう。主イエスの素晴らしさや御言葉の確かさ、教会の豊かさをたくさん洪水のように話し続けましょう。

醜いことや否定的なことなどは信じた後で良いのです。少しだけで良いのです。私たちは人々や子どもたちが信仰の道に入るのを妨げてはいけません。つまずきの石となってはいけません。この順番を守ることが愛であり、配慮だと思います。悔い改めましょう。

次に、何を第一にするのかの優先順位です。第一が決まれば後は難しくないのかも知れません。

主イエスは弟子たち

だけではなくて群衆にも語りかけます。弟子とは未信者の群衆の中で生きる者だからです。当然、主イエスの十字架の犠牲的な愛が分かった者だけが、主イエスの弟子になりたいと願います。主イエスは一般の人々ではなく、そう言う者たちに語りかけます。

まず「自分を捨てよ」と。主イエスの限りない寛容と忍耐と愛が私たちを教会に導き、聖書に触れさせ、主イエスを見上げさせていることを忘れてはいけません。つまずき安い私たちのために日々執り成し、私たちを支え、立ち上がらせてくださるのは主イエスです。自分がされているように人々にもそうしようではありませんか。

次に、主イエスは「日々自分の十字架を負って私に従え」と命じます。これは同志社大学創設者の新島襄が留学中に机の前に貼っていた御言葉です。自分の十字架とは私たちの使命や苦難のことだと思います。使命のために命が与えられています。使命がある限り私たちは死にません。与えられた使命は他の人が代われません。他人にとっては「なんて小さいんだ」と嘲笑されることかも知れません。あるいは他人の方がもっと上手にできることかも知れません。

しかし、私たちは主から与えられた使命をコツコツと毎日主イエスの御後に従いながら、御言葉を教えられ学びつつ成し遂げて行きましょう。

主は必要な知恵と力を与え、必ずその使命を成し遂げさせてくださいます。ハレルヤ!

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