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2010年9月20日 (月)

9月19日礼拝メッセージ「手紙と御言葉で励まされ、2チームで宣教旅行に出発」

ハレルヤ!猛暑がようやく過ぎ、涼しい風が吹くようになりました。皆さま、お元気ですか。

日曜日は以下のために祈りました。皆さんも是非祝福をお祈りください。

9月26日(日)2時「第4回子育てセミナー」有井克子先生(元公立小学校ベテラン教師、牧師の奥様、二人のお子さまは京大卒でクリスチャンホームを形成中)、0月3日(日)「神の恵みに溢れる教会生活:礼拝とセミナー」生嶋陸伸牧師(80才、宮下牧師夫妻の家族と教会のために毎日祈り、指導して来られた、日本で始めて千名会員を達成、各教団教派の牧師のためのセミナー講師)、10月22~24日「関西フランクリン・グラハム・フェスティバル」(大阪城ホール、1万名)、11月14日(日)「聖霊のバプテスマと教会生活:礼拝とセミナー」安藤和子博士。

さて、礼拝は「手紙と預言の言葉に励まされ、2チームで宣教旅行に出発」と題して使徒15:30~41から御言葉を学びました。

律法の行いではなく「恵みによる救い」「信仰による救い」の趣旨を徹底させるために、エルサレム教会はバルナバとパウロにアンテオケやシリヤ、キリキヤの異邦人の諸教会宛の手紙を持たせ派遣しました。

モーセの律法によっては解放される(義とされる)ことのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放される(義とされる)のです。」(使徒13:39)

異邦人のままでも主イエスを信じるだけで救われると言う「信仰義認」の大原則が明確にされたことで、異邦人が多いアンテオケ教会は大きな励ましと慰めを体験し、人々の間に喜びが沸き起こりました。

そして、預言者ユダとシラスによる福音の言葉と預言的な言葉によって教会は大いに励まされました。

聖霊の賜物は教会に集う人々を慰め、励まします。神と神の言葉への信仰を建て上げます。聖書の言葉は慰めと励ましを与えてくれます。教会は慰めと励ましを体験する所となります。聖書の説く三位一体の神が慰めと励ましの神だからです。聖書は神の慰めと励ましを体験した人々で満ちています。

私たちの心は人々からの否定的な言葉や冷酷な態度、思わぬ出来事、根深い問題の故に、たった一日でズタズタに傷つきます。また状況の大変さで落ち込みます。しかし、慰めの神を知っている人は、神が自分の盾となり、避け所となり、砦となり、御翼の影、隠れ場、救いの岩であることを知ることができます。信仰の翼を羽ばたかせ、神の臨在のもとに飛び込みます。そこで心の傷が癒されて、魂に平安を持ちます。新しい元気、エネルギーに満たされて新しい一日、一週間、人生を始めることができます。「あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます」(詩篇32:7)

異邦人の諸教会はその後、神の恵みにより急速に発展拡大して行きます。

第1回宣教旅行は聖霊がバルナバとパウロをアンテオケ教会から派遣しました。エルサレム教会から連れてきたマルコは助手、将来の宣教師候補として個人的に選ばれたと思います。しかし今回、第2回目はパウロの牧会的な配慮に基づく宣教旅行でした。異邦人教会は迫害に直面し、異端の教えで混乱していたからです。ところが宣教旅行の準備中に、誰を同伴するかでバルナバとパウロとの間に意見の衝突が起こりました。忍耐深いバルナバはいとこのマルコを再び連れて行こうとしましたが、パウロは旅行の途中で宣教の奉仕を投げ出して一人脱落した気の弱いマルコを連れて行くことを拒絶しました。二人は自分の主張を譲らず、とうとう別行動を取ることになりました。

バルナバとパウロは傑出した偉大なリーダーでしたが、ちゃんと弱さも持っていました。私たちはここを読むと戸惑いますが、逆に安心します。聖書が人間を無理矢理神のように絶対化、神格化せずに、人間の弱さや醜さ、未熟さ、罪深さを正直にありのままに描写しているからです。神は完璧ですが、人間はどこまで行っても発展途上、不完全のようです。ここの比較が魅力です。そして、神はそんな不完全な人間を決して見放なさず、見捨てず、スッポリと愛と赦しと恵みで包み込み、忍耐をもって神の働きに役立つ者へと育てられるようです。それは聖書の人物たちへの神の取り扱い、主イエスの弟子たちに対する対応でよく分かります。     

バルナバとパウロは後で悔い改め、和解したようです。成長したマルコも悔い改め、パウロと和解したようです。後にパウロは有用な「私のマルコ」と呼んでいます。

結論、①神は慰めの神です。様々な試練を通して最初に私たちが神の慰めを深く体験するように導かれるのではないでしょうか。その後で、神は苦しみの中におられる人々のために私たちをお用いになるのではないでしょうか。②私たちの人間的な弱さや未熟さをも神は最終的に益に変えてしまわれるようです。大丈夫です。神にお委ねしましょう。どんな時にも神に信頼しましょう。ハレルヤ!

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